2005年03月22日

チャンピオンズリーグが示す3-5-2(3-4-1-2)システムの劣勢

 今日、RSSリーダー(headlinereader)を使って、ニュースサイトやらブログやらを巡回していたら、杉山茂樹がgooのNumberWebにチャンピオンズリーグを例にとって、4-2-3-1や4-3-3のサイド攻撃重視のシステムの興隆が、3-5-2(3-4-1-2)のシステムを激減させたことをやかりやすく書いていた。
[チャンピオンズリーグの真髄] [第12回]『3-4-1-2』の不在

(前略)
 4-2-3-1以上にサイド攻撃を重視する4-1-4-1的な4-3-3が、さらに増えていけば、3-4-1-2の居場所はもっと失われる。今季のチャンピオンズリーグは、その傾向を示唆している。

 我々の身近で、3-4-1-2といえば、日本代表になる。次戦の相手はイラン。布陣は4-2-3-1だ。チャンピオンズリーグの歴史は、イラン有利を予想する。戦力が互角ならば、噛み合わせの良さでイランが優勢。4-3-3の台頭を欧州で確認した後だけに、いっそう不安になる。両サイドを攻められ、5バック状態になり、攻撃はロングボールが主体。しかし、バックラインとトップが離れすぎているので、必然FW人へのサポートは薄い。シェフチェンコやエトーがいればそれでも何とかしてくれそうだが……。

 チャンピオンズリーグの8強の中に「3-4-1-2」は1つも存在しない。それはなぜか。日本でチャンピオンズリーグを最も見る必要がある人物は、ジーコ監督であると僕は確信する。

 昨日のエントリー(「場当たり的なジーコの4バック」)で僕が書いていたこととほぼ主張は同じだけれど、さすがに現場を数多く見ている杉山氏だけあって、より説得力がある。

 日本代表とは直接関係ないが、チャンピオンズリーグのバルセロナ対チェルシーで、チェルシーがもしロッベン不在でなければ、より攻撃的になり、それ故にバルサに打ち負かされたかもしれないという主張は、なるほどと思った。
 チャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦、バルサ対チェルシー戦に、もしロッベンが出場していれば、4-3-3対4-3-3は実現していた。チェルシーは手堅いカウンターアタック戦法をとらず、正攻法でバルサに立ち向かっていったと思われる。そしたら結果はどう転んでいただろうか。バルサが打ち勝ったようなに思えてならない。チェルシーはロッベンという看板不在が、むしろ功を奏した。弱者の論理に則れたことが幸いした。

 そうだよなあ。結果的にはバルセロナはチェルシーのカウンターにしてやられてしまったのだ。チェルシーは2戦目に4点を取ったが、4点目、テリーのヘディングを除いた3点がカウンターからのものだったからな……。

 それにしても、ウェブ上で雑誌「Number」の掲載コラムの一部や、この「チャンピオンズリーグの真髄」のような雑誌未掲載のコラムが読めるのは嬉しい。gooはRSSの配信もしているので、RSSリーダーを使ってブログやニュースサイトの巡回をしている人はぜひ、登録してみてください。
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2005年03月21日

場当たり的なジーコの4バック

 ドイツで合宿中のジーコ・ジャパンが、練習試合で4バックをテストしたという。

中田シフトだ、イラン戦は「4バック」

 【フランクフルト(ドイツ)20日=岡本学、西尾雅治、山下健二郎】日本代表ジーコ監督(52)が、MF中田英寿(28=フィオレンティーナ)の復帰を想定した4−4−2システムをテストした。ドイツ合宿3日目、地元アマチュアのFSVマインツ05(ドイツ3部相当)との練習試合で、前半に4バックをテスト。試合後に4バックでW杯アジア最終予選イラン戦(25日、テヘラン)へ臨む意向を明らかにした。選手の一部に多少の戸惑いもあるが、約1年ぶりの代表復帰となる中田英を中心にイランとの大一番へ臨む。

 約11カ月ぶりの代表復帰となる中田英の合流前に、ジーコ監督は腹を決めた。地元アマとの練習試合で、昨年の東欧遠征から21試合中19試合で採用してきた3−5−2ではなく、4−4−2のシステムで前半をスタート。代表発表の14日には3バックで臨んだ2月9日の「北朝鮮戦をベースに考える」とイラン戦の構想を語っていただけに「意外だった」(DF宮本)。ジーコ監督は「イラン戦? おそらく4バック」と試合後にコメント。それは紛れもなく、昨年3月31日のシンガポール戦以来約1年ぶりとなる中田英復帰を想定したシステムだった。

(日刊スポーツ 2005/03/21)

 僕は両サイドからの攻撃を重視する現代サッカーでは4バックの方が適しているとは思う。現に、ここ数年のうちに欧州の大半のチーム(クラブレベルでも代表でも)は4バックになった。

 ただ、だからといってジーコの4バック転換(?)を素直には評価しにくい。おそらく4-2-3-1で、ダエイの1トップを敷くイラン対策という意味合いもあるのかもしれないが、もっと大きな理由は中村俊輔と中田英寿を併用したいということにあるからだ。

 うーん、こういうことで3バックと4バックを簡単に変えるのはどうなのだろう。もちろん4バックなりの約束事が徹底されればいいのだが、これまでのジーコジャパンを見る限り、そうはなりにくい気がする。中田が戻ってきたから4バック? あまりにも場当たり的な戦術転換に思えるのだ。

 数年前までは世界の多くのチームが採用した3-5-2が激減したのは、98年ワールドカップのオランダ代表あたりに端を発する、両サイドにプレーヤーを2枚ずつ置く4-2-3-1のシステムに相性が悪かったためだ。

 4-2-3-1対3-5-2のゲームでは、常にサイドの枚数は2対1で4-2-3-1の方が数的有利だ。中央の守備が強くなって、サイドに活路を見いださなければならない現代のサッカーでは、サイドのプレーヤーが1枚しかいない3-5-2は一般的に分が悪い。

 だがジーコのシステム変更には、こうしたことを考慮した様子がまるでうかがえない。ヨーロッパのサッカーを(テレビでも)見ていれば僕らでもわかることだが、欧州のサッカーを生で観戦するジーコの姿はほとんど見たことがないし、世界のサッカー勉強しているようにも見えない。

 ジーコジャパンの3-5-2は、ダエイのような1トップとマハダビキアのような強力なサイドアタッカーがいるチームには、フォーメーション上、どうしても分が悪い。アウェーの戦いということもあり、日本の両サイドがイランのサイド攻撃を恐れて引いてしまい、5バック化することが容易に予想できる。

 かといって4バックにしても守備面の不安は解消されるとしても(誰がサイドバックを務めるかにもよるが)、中盤の構成がボランチ2枚に中田、中村だと中央に寄りすぎて、サイドアタックが生かせない。バランスを考えられる中村が臨機応変にサイドに張るような形になれば、ある程度不安は解消されるのだが。

 現段階では、5バックになってしまったとしても、慣れた3-5-2の方がまだまともな戦いができるだろうと、個人的には思う。

 どちらにしても、今のジーコジャパンには、欧州のトップチームのような確固たる戦術がない。それでもしのいで最後は結果を出すというのがこれまでのこのチームだったのだが、その「運」だけを頼りにしてしまっていいものか。不安は尽きない。
posted by KH at 23:13| Comment(3) | TrackBack(11) | サッカー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月20日

ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何か

 直木賞を受賞したから書いていると思われるかもしれないが、しばらく前から角田光代をきちっと読みたいなと思っていた。雑誌に載っていた彼女のエッセイが、とても印象的だったからだ(印象だけはあって、その割には掲載誌も内容も覚えていないので、自分でもあきれてしまうが)。

「ああ、この人は今の世の中をつかみ取る視点を持っているんだなあ」。そんなことを漠然と感じ、当時出たばかりの新潮文庫の『キッドナップツアー』を買った。この文庫は2003年の6月の出版なので、彼女の小説をきちんと読みたいと思ったのは2年近く前ということになる。

 結局、気になりつつも忙しさにかまけて読めずにいるうちに、彼女は直木賞を受賞。受賞後にようやく、受賞作の『対岸の彼女』(文藝春秋)を読んでみた。
 
 「女同士の友情」がテーマのこの小説には、2人の主人公がいる。30代、既婚、子持ちだが、娘と共に公園での人間関係をうまく築けないことを日々悩む小夜子と、独身、子なしで小さな旅行会社を経営する葵。

 2人は生活環境も性格も異なり、著者がタイトルにつけたように川の「対岸」にいるような関係だ。だが共通するのは彼女たちの周囲に閉塞感が漂うことだ。

 2人とも、とりたてて不幸なわけではない。だけれども小説前半で描かれる小夜子の今と、葵の高校時代を取り巻くのは、彼女たち自身の力ではどうしても逃れることのできない閉塞感だ。生活上のトラブル、こころない人々の悪意、家族の無理解――。

 こうした小さなことが積み重なり、彼女たちの閉塞感は増していく。その描き方がとてもリアルな故に、この小説は多くの人の共感を得るだろう。2年近く前にエッセイを読んだ時に感じた第一印象は、間違っていなかったと思った。

 だが決して「暗い」小説ではない。同年代でしかも同じ大学出身だということがわかった小夜子と葵は急速に仲が良くなるが、あることがきっかけに、お互いの環境の違いを意識して溝をつくってしまう。しかし最後にはその溝は超えられるかもしれないという予兆で、この小説は終わっているからだ。溝ができた後で、小夜子が葵のことを少しずつ理解していく過程は、読み応えがある。

 小説中盤(96〜97ページ)で、印象的な場面がある。保育園通いを始めて1カ月がたつ娘のあかりについて、「まだお友達ができない」と愚痴をこぼす小夜子と、それに答える葵の会話だ。

 
「だけど、友達、たくさんできたほうがやっぱりいいじゃない?」耳に届く自分の声は、みっともないくらい切実だった。けれど小夜子は知りたかった。あかりの未来か、自分の選択の成否か、葵の話の行き着く先か、何を知りたいのかは判然としなかったが、しかし知りたかった。

「私はさ、まわりに子どもがいないから、成長過程に及ぼす影響とかそういうのはわかんない、けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」

 小夜子は正面に座る葵をじっと見詰めた。目の前でぱちんと手をたたかれたみたいに思えた。そうだ、あかりに教えなければならないこと、それは今葵が言ったようなことなんじゃないか、泣きわめくあかりを保育士さんに預け、まだ友達ができないのかとじりじり焦り、迎えにいったあかりから友達の名がひとりも出ないことにまた落胆するのは、何か間違っているのではないか……葵を見つめたまま、小夜子は考えた。

 「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何か」。いい言葉だと思う。そう思わせてくれる何かを持てた時、はじめて性格や境遇や生活環境を超えた友情が成り立つのかもしれない。
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2005年03月19日

ボールを置きにいったロナウジーニョのスーパーゴール

 05−06チャンピオンズリーグ、決勝トーナメント1回戦第2戦のチェルシー(イングランド)対バルセロナ(スペイン)戦は、まさに前回の記事「チャンピオンズリーグとアウェーゴール2倍ルール 」で書いた通りの、アウェーゴールルールが最も効果的に働くゲームになった。

 19分までにバルセロナが連続して3失点した時、前半が終わった段階で、バルセロナ有利となる展開を誰が予想しただろうか。一方的と思えた展開を「まれに見る名勝負」に引き戻したのは27分、チェルシーのパウロ・フェレイラのハンドだった。

 「これで試合は決まったかもしれない」。そんなエアポケットに入ってしまったかのような時間帯だった。拮抗した展開ならば、主審があれだけきっぱりとPKをとったかどうか。そしてチェルシーの選手にしても「3点取った後だから、まあ、仕方がないか」といった表情が見て取れた。しかしこの1点で合計点は4対3でチェルシーのわずかなリード。また試合の行方がわからなくなった。

 38分、デコのパスを受けた時のロナウジーニョの位置はペナルティエリア正面。しかしボールは足下にあって、通常ならシュートは無理な場所だった。その場にいた選手も、そして観客もほぼ100%、パスを想像しただろう。

 だがロナウジーニョはつま先ともアウトサイドとも見えるような位置で、浮き球をける。さして速いシュートではなかったが、意表をつかれたキーパー、チェフをはじめとしたチェルシーのディフェンス陣は、ゴール左上に吸い込まれるボールをただ見送るしかなかった。

 僕がその瞬間思い浮かべたのは「ボールを置きにいく」という言葉だった。この言葉は普通、野球でピッチャーがストライクをほしい時に、力を抜いてコースを狙いにいく投球のことを表す。ロナウジーニョのシュートは、腕で野球のボールを投げるのと同じような感覚を、見る者に思い起こさせてしまったのだ。

 記憶に残るスーパーゴールにはいろいろな種類がある、これはまさしく見る者すべての予想を裏切った、超えたゴール。すごかった。

 僕の一押しのバルセロナは負けてしまった。けれども2試合ともこれだけスリリングな展開となり、しかもロナウジーニョのスーパーゴールもあったので、ある意味では満足。これを現地のスタジアムで見ていたら、その興奮はすごかっただろう。

 チェルシーにはぜひ、チャンピオンズリーグで初優勝してもらいたい。準々決勝以降でロッベンなどが復帰すれば、とかく堅実すぎて面白みがないと言われる戦い方も変わるだろう。そしてバルセロナはリーガ・エスパニョーラに集中して、こちらも1998―99シーズン以来5季ぶりの優勝を成し遂げてもらいたい。
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2005年03月08日

チャンピオンズリーグとアウェーゴール2倍ルール

 スポーツを実際にやったり見たりしていると、「このルールは本当によくできているな」と思うことが時々ある。その中でも特に感心するのが、サッカーにおけるアウェーゴール2倍ルールだ。

 ホーム(自チームの本拠地)とアウェー(相手チームの本拠地)の概念がしっかり確立しているヨーロッパでは、サッカーのトーナメント戦はほぼホーム・アンド・アウェーの2試合1セットで行われる。勝ち負けは2試合の得点数の合計で決まるわけだが、それが同点だった時のみ、アウェー(敵地)でのゴールを2倍にカウントするルールのことだ。

 同じサッカーでもリーグ戦においては、お互い引き分けに納得ずくで、ラスト10分は両チームともボールをキープするだけで、攻めたりボールを奪ったりする気がないという、退屈な状態があり得る。特にワールドカップの1次リーグなどで、決勝トーナメントへの進出チームが決まりつつある場合には、そういうことがよく起こる。

 またトーナメントでも、一発勝負の場合にはお互い攻め疲れたために、最終盤は攻めずにPK戦を待つというケースもなくはない。

 ところがアウェーゴール2倍ルールが適用されるホーム・アンド・アウェーの戦いの場合、「五分五分」の均衡状態がほとんどない。そして得点が入るごとに、両チームの優勢と劣勢が、オセロゲームのコマのように逆転してしまう。常に優劣がはっきりしているので劣勢のチームが攻めざるを得ず、それが必然的に好ゲームを生むことになる。

 2月23日にバルセロナのカンプ・ノウで行われた、05−06チャンピオンズリーグ、決勝トーナメント1回戦第1戦のバルセロナ(スペイン)対チェルシー(イングランド)も、アウェーゴール2倍ルールの存在を強く印象づけた試合だった。「事実上の決勝戦」という呼び声もあるこの対戦は、このルールによってさらに面白みが増しているのだ。

 立ち上がりから、ホームのバルセロナは攻める。共に自国リーグで首位に立ち、フォーメーションが4-3-3という共通点はあるが、どちらかというとバルセロナは「攻」、チェルシーは「守」に特徴があるチームだ。しかも第1戦はバルセロナのホーム。「0−0なら御の字」という魂胆が透けて見えるチェルシーに対し、バルセロナは果敢に攻め続けた。

 ところが先制はチェルシー。鋭いチェルシーの一瞬のカウンターに、バルセロナのDFベレッチがクリアしたボールがオウンゴールになってしまったのだ。

 たかが1点。されどアウェーでの2倍の重みを持つ1点だ。しかも相手は堅守のチェルシーである。ある意味で、バルセロナはこの時点で、かなりの劣勢に立たされたわけだ。 

 バルセロナはさらに攻め立てたが、ゴールを割ることができない。後半に入り、バルセロナは入団したばかりで、20歳のアルゼンチン人ストライカー、マクシー・ロペスを投入。これで流れが変わり、6分間で2点を奪って逆転した。その後も何本ものシュートをチェルシーゴールを襲ったが、追加点を奪うことはできなかった。

 バルセロナから見ると、ホームでの2−1。最初にオウンゴールで失点したことを考えれば、胸がすく逆転劇ではある。だが冷静になって2戦トータルでスコア面から考えると、いまだにチェルシーがやや有利と見るべきだろう。2戦目をホーム、スタンフォードブリッジで戦うチェルシーが得意とする1−0で勝利すれば、総得点では同じでもアウェーゴールではチェルシーが上回り、準々決勝に勝ち抜けするのはチェルシーだからだ。

 だが逆に第2戦でバルセロナが先制すると、チェルシーは途端に窮地に立たされる。バルセロナから少なくとも2点を奪取しなければ、準々決勝への道は消えてしまうためだ(2点取って2−1に持ち込めば、2戦合計で3−3。アウェーゴールも同数なので、延長戦に入る)。アウェーゴール2倍ルールのおかげで、かくも戦いがスリリングなものになるのだ。

 第1戦を終えてやや不利なバルセロナは、アウェーでの第2戦でも攻めに出るだろう。第1戦でレッドカードを食らったドログバと、ケガによるロッベンを欠くチェルシーは、どのようにして点を取りにいくのだろうか。

 チェルシーは魅力的なチームだ。だが、いま世界最高のウィングプレーヤーといってもいいロッベンを欠くチェルシーは、ロナウジーニョをはじめとした個人技と戦術が高次元で融合している今季のバルセロナ(けが人が多いせいで調子が悪い時もあるが)と比べると、いささか魅力が劣る。

 第2戦のホイッスルが鳴るまであと数時間。両チームが攻め合いを演じた上で、最後にはバルセロナが接戦を制す。そんな展開を願っている。
posted by KH at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月06日

やさしい言葉だけを使い、紋切り型にはならない文章

 やさしい言葉、誰もが普段から口にしているような言葉だけを使い、だけれども紋切り型では決してない、生きた文章を書く。言うのはやさしいけれども、それはとても難しいことだ。そのことを、見事なまでにできている小説が、レベッカ・ブラウンの『体の贈り物』(柴田元幸訳、新潮文庫)だ。

 主人公はエイズ患者を世話するホームケア・ワーカーの女性。この短編集には、彼女と患者たち、あるいは患者の家族や友人、そしてホームケアワーカーを主催するグループのメンバーとの交流を巡る11の物語が収められている。

 エイズ患者がアメリカにおいて最初に報告されたのが1981年だというから、エイズにも既に四半世紀近い歴史があるわけだ。その中で、小説や映画、ドラマでエイズやエイズ患者がテーマになったことはあまたあるだろう。

 それだけに、この手の話を「書く」ことはとても難しい。エイズ患者やエイズについての固定観念があるから、物語はとても陳腐になりやすい。それなのに、この短編集は少しも陳腐でない。

 筆者、レベッカ・ブラウンは実際ホームケアワーカーの経験があるそうだが、だからといって、このような陳腐でなく、患者の息づかいや肌触り、患者と接した時のとまどいや恐怖、そしてふれ合いの中で感じる暖かさまで感じられる文章を書けるものではない。筆者にはきっと、流布している物語に流されずに現実を見る目と、それを言葉に移し替える力があるのだろう。付け加えれば、柴田元幸の訳も、彼女の文章に合っているのだと思う。

 もう一つ強調すべきは、「汗の贈り物」「死の贈り物」「希望の贈り物」といった11の短編がすべて「○○の贈り物」といったタイトルになっている点だ。エイズ患者を世話するとは、遅かれ早かれ患者の死を迎えることにつながるにもかかわらず、筆者は患者との交流の中から「贈り物」という肯定的な何かを見いだしている。

 正直、こうした状況にたったことのない僕には、わからない感情や状況もある。だが家族や大切な人の死を看取ったことのある人、死が避けられない家族や友人を今持っている人、そういう人を勇気づける、支える力のある本だ。読み終わった後、大切な人を亡くしたばかりの友人に薦めたいと思った。
posted by KH at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月03日

ライブドアは株主にとってよい企業か

 ホリエモンこと堀江貴文社長が率いるライブドアは、ニッポン放送株の買収資金を調達するために、転換社債型新株予約権付社債(MSCB)という手法を用いた。貸株と併用すれば引受先の証券会社(今回の場合はリーマン・ブラザーズ証券)が確実にもうかる商品で、一方株価はほぼ確実に下がるために、既存株主が損を被る確率がきわめて高い手法だ。

 だが過去にさかのぼって調べてみると、ライブドアは昔からこうした株主の不利益を伴う手法によって、資金を集めてきた会社のようだ。

 ライブドア(旧・オン・ザ・エッヂ)が東京証券取引所マザーズに上場したのは2000年の4月。まさにネットバブルのピーク時に株式を公開、公募増資で約60億円を調達した。当時はネットベンチャーに対する評価が異常に高すぎたが故に、集めることのできた資金だった。当然ネットバブルの崩壊と同時に株価は高値から9割程度下落。上場時から株式を保有する多くの投資家が損を出したという。

 ライブドアが現在のように「有名」になる転換点となった2000年4月の公募増資(382億円を調達)も、イレギュラーな形で高くなった株価を利用している。

 ライブドアは2003年12月に1対100の株式分割を実施した。理論的には、分割は企業価値や時価総額には影響を与えない。100分割であれば、発行済み株式数が100倍に増え、株価は100分の1になり、時価総額は変わらないというのが理屈だ。

 だが日本の場合、株券印刷などの物理的な制約から、増えた分の新株が交付されるのは1カ月半から2カ月後になる。その間、株価はいったん100分の1になり、買い手が殺到するが、新株は流通していないという状況が続く。分割の度合いが大きければ大きいほど 需給関係が逼迫して株価の高騰をもたらす。ライブドアの100分割の場合、時価総額は一時的に分割前の10倍にまで膨れあがった。

 そのイレギュラーな株価を前提に公募増資をしたからこそ、400億円近い資金を集められたわけだ。この資金がなければ、当然、近鉄バッファローズの買収に名乗りを挙げることはできなかっただろう。

 そして今回のMSCB。ライブドアが発行するMSCBに付いている転換価格の下方修正条項では、株価下落に合わせて転換価格も下がり、常に市場価格より10%安い価格で株式に転換される。リーマンにとっては株価が下がっても、売れば売るだけ利益が稼げることから、引き受け条件で下限に設定された157円にまで株価が下がる可能性もある。

 株式分割直後の公募増資より、MSCBはさらに「裏技」の度合いが強い。実際、これまでMSCBを発行した会社は、中長期で見るとほぼ間違いなく株価が下落し、仕手筋のおもちゃにされ、今や会社の体をなしていないところも少なくない。

 ホリエモンという経営者を、その数々の発言から判断すると、魅力的に映ることは確かだ。プロ野球参入問題で読売新聞グループの渡邉恒雄オーナーなど旧世代のオーナーたちを斬ったように、フジテレビの日枝久会長との論戦でも、理はホリエモンが勝っているように見える。

 マスメディアでも、多くのブログでも、ホリエモンにエールを送る人は少なくない。実際AERAなどは、「そんなに他のメディア(フジサンケイグループ)が問題になっているのが面白いか」と勘ぐってしまうほどに、ホリエモンには好意的だ。

 だがライブドアという会社自体は、ホリエモンの発言ほどには内容のある会社ではないように見える。足場となる自社(ライブドア)の株価が下がる一方では、肝心の株主から怒りを買うだけだろう。

 株式の100分割後の株価下落局面でも、ライブドアはプロ野球への参入表明や、ソフト会社弥生の買収など話題を提供し続けることで、株価の下落をなんとかおさえてきた。

 だがニッポン放送株を手に入れるために手を出したMSCBは、ライブドアの企業価値を損ない続ける危険性を持つ。ニッポン放送問題が長期化する様相だけに、ホリエモンの分は、日に日に悪くなっているように思える。
posted by KH at 02:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 時事・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月02日

トンネルで変わる秘境

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 週末、秘境として知られる祖谷(徳島県西祖谷村)に行ってきた。源平の屋島の戦い(1158年)で敗れた平国盛(教盛の二男)が率いる一隊は、源氏の追手を逃れるために吉野川をさかのぼり、この地に入って土着したという。祖谷近辺には、平家の落人達が古都の生活をしのび琵琶を奏で、つれづれを慰めあったと伝えられたという「びわの滝」をはじめ、平家関連の史跡が数多くある。

 祖谷で最も有名なのはかずら橋(写真)だ。かずら橋の原料は標高600メートル以上の高地に自生するしらくちかずらという植物のつるだ。

 写真で見るとそれほど恐そうではないのだが、実際に渡ってみるとこれが予想以上に恐い。材料がつるなので揺れるし、きしむし、何しろ床面に渡してある木の間隔が広く、気を抜くと足が木と木の間にはまってしまいそうだからだ。

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 渡っている最中に、映画『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』のラスト近くで出てくる吊り橋をふと思い出した。もちろん今のかずら橋には、安全のためにワイヤーも使ってあるので、ジョーンズ博士のような目に遭うことはないのだが。

 かずら橋はとても楽しめたのだが、実はこの周辺、秘境でもなんでもない。かずら橋を写した写真を見ればわかることだが、かずら橋に平行して、大型車もちゃんと通れる近代的な橋が当然かかっている。

 それだけではない。近くには近代的なホテルもおみやげ物屋もそろっている。祖谷川の対岸では、さらに大規模な工事(およそ「秘境」にふさわしくない)が進んでいる。「秘境」を強く期待して訪れると、肩すかしを食うことになる。

 司馬遼太郎の『街道をゆく32 阿波紀行、紀ノ川流域』(朝日文庫)によると、祖谷と池田との間で徒歩通行が可能になったのは、大正9年(1920年)に祖谷川沿いに祖谷街道が開通してからだという。そのころにようやく、秘境・祖谷が下界と接したわけだ。

 だがこの祖谷街道も細く険しい道で、大型バスは通ることはできない。実際僕も池田方面の祖谷口駅からタクシーで祖谷街道を通って祖谷に入ろうとしたのだが、崖崩れ後の道路工事による通行止めとかち合ってしまい、通ることができなかった。

 タクシーの運転手さんによると、大型バスが祖谷にまで入れるようになったのは、池田とは反対側の大歩危・西祖谷間に全長967メートルの祖谷トンネルが完成してからのことだという。峠を越える険しい旧道を通らずにかずら橋付近まで来ることが可能になった。もともとは有料道路だったが、それが無料になり、さらに大型バスなどが増えたという。

 僕がタクシーでトンネルを通った時も、トンネルの大歩危側は曇り空だったのが、トンネルを出た時には雪景色に変わっていた。長さこそ約1キロだが、峠を越えるため、気候も驚くほど違う。

 四国を旅していると、1本のトンネルや新しい道が人々の生活を変えてしまうことがあることを実感する。それはその土地の人たちにとっては福音であっても、秘境や手つかずの自然を期待する勝手な旅人からすると、さびしく思える時もある。祖谷の場合も、このトンネルができたことで、本当の秘境から、「秘境」を売り物にした一つの観光地に変わったのだろう。

 びわの滝のわきにある滝美食堂という小さな食堂で、店のおばちゃんが打ったという祖谷そば(手打ちらしさが出ていて美味しかった)を食べながら、「意外と秘境ではないですよね」という話をしてみた。すると「それならば西祖谷村のさらに奥にある奥祖谷二重かずら橋に行きなさい」と薦められた。ここからさらに車で1時間ほどかかるという。

 ぜひ行ってみたいけれども、時間がない。これは次の楽しみにとっておこう。
posted by KH at 01:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記・メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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