2005年04月11日

桜吹雪

 週末、車で四万十川、四国カルスト方面を走ってきた。多くの地域と同じように、高知も3月の気温が低く(2週間ほど前には山間部は雪も降った)、桜の開花はひどく遅れた。しかし遅れた分、ソメイヨシノだけでなくヤマザクラやシダレザクラなど多くの種類の桜、桃やヤマツツジなど山々の花も、一気に開花した感がある。

 山を見上げると、ここかしこが桃色に染まっている。国道脇にも、多くの桜が植えられている。9日の土曜日、四国は晴天に恵まれ、ほどよい風で散り始めた桜吹雪の中を、車を走らせた。

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 この写真にあるのは四万十川の支流、梼原川にある津賀ダム上流の下津井の「めがね橋」。かつて、この地には切り出した木材を運搬するための森林軌道(トロッコ線)があり、そのために架けられた橋だ。石造りのアーチ橋が大きな眼鏡のように見えることから、通称「めがね橋」と呼ばれている。ツタに覆われためがね橋と桜が、よくマッチしている。

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 こちらは樹齢約500年、根元の周り8メートル、高さ約25メートルという吾川のひょうたん桜(吾川村)。こちらもちょうど見頃で見応えがあったが、その分、車と観光客が多すぎて、ちょっと興ざめだった。

 山の中にたたずむ、めがね橋わきの桜の方が、僕には好みだった。
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2005年04月10日

日本代表監督に誘い時のアーセン・ベンゲル

 サッカー日本代表のイラン戦、バーレーン戦を終えて、ますますジーコの監督としての資質に、疑問を感じるようになっている。今や代表で見るべきものは、選手の自主性と「運」だけではないか。

 そんなことを感じている時、こんなニュースが飛び込んできた。

世界的名将・ベンゲル氏が日本に?次期代表監督に意欲
 【ロンドン7日=国際電話】日本代表の次期監督に、プレミアリーグ・アーセナルのアーセン・ベンゲル監督(55)が意欲を示していることが7日、明らかになった。

 7日に放送された英国営BBCのインタビューで、07年でのアーセナルとの契約が満了した後の自身の去就について「日本に行くことも考えている」と話した。ベンゲル氏と日本のつながりは深く、94年からJ1名古屋を指揮。日本代表では、岡田武史監督退任後の98年に日本協会がベンゲル氏に白羽の矢を立てたが断られ、ベンゲル氏が推薦するフィリップ・トルシエ氏と契約したといういきさつもある。

 ジーコ監督は06年ドイツW杯までで退任する意向を示している。アーセナルを3度リーグ優勝に導くなど世界的名将として知られるベンゲル氏の立候補となれば、日本にとって積年のラブコールが実る可能性は大だ。

■アーセン・ベンゲル
 1949年10月22日、フランス生まれ、55歳。選手としては無名も、85年から監督業を開始。フランスリーグ・ナンシー、モナコなどで頭角をあらわし、94年にJ1名古屋の監督に就任。96年天皇杯優勝など好成績を残し、96年にアーセナルの監督に。リーグ3度、FA杯3度優勝を果たした。

(サンケイスポーツ 2005/04/08)

 見出しを見た時は、ベンゲルが今すぐにでも日本に来てもいいと考えているのかと思ったが、そうではなく、07年での契約満了後の去就についてだった。

 だがベンゲルのこの発言を、文字通りに受け取っていいのだろうか?

 ご存じの通り、ベンゲル率いるアーセナルはチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦でバイエルン・ミュンヘンに負け、今年も欧州の舞台では強さを発揮できなかった。2年連続優勝したプレミアでも、今季はチェルシーに大きく水をあけられ、優勝は絶望的だ。

 プレミアのゲームをほとんど見ていないので断言はできないが、チャンピオンズリーグのゲームを見る限り、試合内容もよくなかった。アンリ、ピレス、レジェス、ベルカンプといった魅力的なメンバーをそろえながら、個々の選手の動きが連動していない。明らかに数年前より、サッカーの質は低下しているように思えた。

 実績のある監督が率い、メンバーも一流(DFにカネをもっとかけるべきという指摘はあるだろうが)、しかも監督や中心メンバーはここ何年も変わっていない。それにもかかわらず結果がついてこない。こんな時は監督か中心選手の換え時というのが、サッカー界の常識だ。

 プレミアではモウリーニョをポルトから引っ張ってきたチェルシーが大成功したこともあり、アーセナルのフロントが、ベンゲルの後任を探し始めたとしてもおかしくない。

 一方ベンゲルにしても、手塩をかけてきたチームが、どうあがいても結果が伴わないようになれば、あるいはフロントによる後任者探しを察するようなことがあれば、新しい職探しを始めることは十分にあり得る。見方によっては、ベンゲルのこの発言は「日本代表の監督に、今すぐにでも誘ってくれ」というサインのようにも見える。

 実際に今アーセナルに何が起こっているのかはわかりようがないが、そういうタイミングでのベンゲルでの発言だということを、考えるべきだ。しかも場所はBBCのインタビューとのことだから、全く根も葉もない話ということはないだろう。

 日本サッカー協会は代表の監督として、98年にベンゲルに白羽の矢を立てて断られたが、あの時はベンゲルの株が今よりも高く、かつ上昇カーブを描いている最中だった。今はその逆で株価は低迷、しかもこのままでは上昇は期待できずといった局面にある。

 ということで、代表の監督としてこれほど誘い時の時はないだろうと思う。ドイツワールドカップ後ではなく、ドイツワールドカップ本戦、場合によっては予選の途中からということも見据えて、監督ベンゲルを検討すべきだ。少なくとも協会は、ベンゲルやアーセナルのフロントに今すぐにでも接触すべきだろう。

 今年のアーセナルはかつてのような美しいサッカーを展開できなくなったとはいっても、監督としての実力は一級品だ。環境を変えれば、その神通力がよみがえる可能性はかなり大きい。

 ベンゲルが監督時代のグランパスのサッカーの美しさ(ストイコビッチなどの個人の能力と戦術とが融合した美しさ)を忘れられない自分は、どう考えても、ベンゲルの方がジーコより監督としての能力は優れていると思う。

 良いサッカーではないが、結果はそこそこ残す日本代表には飽きてきた。選手の個々の能力は間違いなくアップしているのだから、その選手たちを基に、高度な戦術を駆使して、組織力の伴ったサッカーをする日本代表を見てみたい。
posted by KH at 17:32| Comment(0) | TrackBack(1) | サッカー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月08日

贅沢な『日本縦断 徒歩の旅』

 四国へ来てからというもの「歩いて旅をしてみたい」という思いを強くしている。

 子どもの頃から旅が好きだった。ただ就職してからは時間が限られ、旅らしい旅をしていない。それがこちらへ来てから多少の自由が効くようになり、旅への欲求が再び出てきたからかもしれない。あるいは「お遍路=四国八十八カ所巡礼」という、徒歩の旅に適した「超ロングトレイル」が自分の住む場所のすぐ近くにあることも、影響しているのかもしれない。

 そんな思いを持ちつつ昨年買ったままになっていた石川文洋『日本縦断 徒歩の旅 ―65歳の挑戦―』(岩波新書)をようやく読んだ。報道カメラマンの石川が、北海道・宗谷岬から沖縄・那覇までを、日本海側経由で約5カ月で歩き通した記録だ。

 感想は一言、「羨ましいなあ」。

 同じ旅行記でも、例えば司馬遼太郎の『街道を歩く』シリーズは、その土地で見たモノ、会った人を描くというより、それをきっかけに歴史や故事にさかのぼることを主眼としている。

 それに対して石川文洋の『日本縦断』は、帯にあるように「ひたすら歩いた日本再発見の記録」だ。元々がカメラマンだから、文章がものすごく巧いわけではない。けれどもその淡々とした、飾らない文章に、かえって好感をもてる。何より通り過ぎていく土地で、おびただしい数の人たちとふれ合っている点が素晴らしい。

 石川は終章、「3300キロを歩き終えて」で、こう書いている。
 
先日、友人から「君すごいことをしたなあ」と言われた。でも、私自身すごいこととはまったく思っていない。なぜなら、のんびりと風景を見ながら楽しい旅をしていたからだ。つらいけど歩き通そうなどの悲壮感は少しもなく、旅館で毎晩旨い料理を食べて酒を飲み、自分だけこんな贅沢な旅をしていて良いのかなあ、と妻に申し訳ないと思っていたぐらいだ。

 この文章を読んで、「そうだろうなあ」と思える人は、間違いなくこの本を楽しめる。けれども逆に「3300キロを歩くなんて、楽しいわけないじゃない」と思ってしまう人は、最初からこの本を手に取らない方がいい。

 出発した7月には73キロだった体重は旅終了後の12月には62.2キロに。血液検査の結果は医師が「完璧です。非の打ちどころがありません。この年齢でこの数字は珍しい」と言うほどだったという。素晴らしい。

 ちなみに、このエントリーを書くためにウェブを調べていて、岩波書店のページの中に、石川がこの旅の中で撮った写真が掲載されているライブラリーがあるのを見つけた。

 石川文洋「日本縦断 徒歩の旅」フォト・ライブラリー

 このライブラリーを見ながら本書を読み進めると、楽しさが増す。
posted by KH at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

怠け者だった王貞治――秀逸なNHKのプロ野球ドキュメンタリー

 3月末のことだが、プロ野球の開幕を前にNHKが総合テレビで放映した「プロ野球・新時代へ 熱球の伝説」(全5回)がめっぽう面白かった。

 例えば2回目の「一本足打法の衝撃 ホームラン王誕生」(3月22日放送)。世界の王貞治が一本足打法を完成させ、ホームラン王となるまでの道のりを描いたものだが、小学生の頃には王貞治フリークであった自分でさえ、知らない事実がたくさん詰まっていた。

 僕にとって最も意外だったのは、王貞治が「怠け者だった」という点だ。番組中では、当時の監督だった川上哲治も、王貞治を徹底的に指導して一本足打法を導いた荒川尭コーチも、そのことを繰り返し証言している。

 巨人がV9を達成した後、晩年のころしか知らない僕にとって王は「求道者」のイメージそのもの。子どもの頃に読んだ王の自伝(こんなものを読んでいたんだな)には、真剣を取り入れたトレーニング法や、合気道の応用などが披露されており、それが求道者のイメージをさらに強くしていた。

 ところが番組によると、1959(昭和34)年に入団してからの王は素質だけで勝負している選手で、「怠け者だった」のだという。1962(昭和37)年初頭からは荒川の指導で練習に取り組んでいたものの結果は出ず、6月末には「打席に立つのが恐い」とこぼすところまで極度な不振に落ち込んでいた。

 そして7月1日の川崎球場での大洋戦。ヘッドコーチの別所毅彦に「チームが打てないのはおまえの責任。王に、今日からホームランを打たせろ」と怒鳴られた荒川は「昨日の夜、練習したように、今日は一本足で打て」という指示を王に出した。ためをつくり、タイミングを取りやすくするために、たまたま前の晩に一本足打法に取り組んでいたのだ。

 その試合の第1打席はヒット。そして第2打席、王は荒川に言われた通り高々と足を上げバットを振ると、ボールは右翼席に。この試合で王は5打数3安打と大活躍した。

 荒川は言う。「たまたま足を上げたこの瞬間にホームランが出た、これが何とも言えない彼の幸運だった」。そのゲームの後、荒川は王にこう話したという。「おまえは、この一本足で運をつかんだ。つかんだ運を離さないために、今まで以上に練習しような」。

 王はこの日を境に「練習の鬼」に変わっていったのだった。

 僕はてっきり、「鬼気迫る猛練習」の末に一本足打法があったのかと思っていた。でも事実は逆。一本足打法はたまたまの偶然から生まれたもの(その偶然も、努力の末の偶然ではあるのだが)で、それを定着させる、自分のものとするために王は「鬼気迫る猛練習」に取り組んだのだ。

 この逸話は、様々なことを示唆しているようにも思える。

 良質なノンフィクションやドキュメンタリーは、視聴者や読み手がよく知っているはずの事柄について、読む、見る側の予想を上回る、覆すような素材を提供する。今回の「プロ野球・新時代へ 熱球の伝説」はこの王の回に限らず、まさしく僕らの予想を覆すようなファクツを伝えてくれる、第一級のドキュメンタリーだ。

 今回の番組のように、豊富な資金力を前提にした丹念なインタビュー。そして過去の膨大な映像蓄積。これこそがNHKの強みだと思う。

 夜7時のNHKニュースで、ホリエモンを妙にらしくない派手派手しいやり方で取り上げ、自社の問題も含めそのほかのニュースをかすめさすようなやり方が、本当のNHKだとは思いたくない。
posted by KH at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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