2005年09月25日

村上春樹『東京奇譚集』

 村上春樹の最新短編集『東京奇譚集』(新潮社)を読んだ。「新潮」の2005年3月号から6月号まで連載された「偶然の旅人」「ハナレイ・ベイ」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「日々移動する腎臓の形をした石」の4短編に、書き下ろしの「品川猿」と加えた短編集だ。

 ストレートに良さを感じたのは、最初の「偶然の旅人」と「ハナレイ・ベイ」だ。「偶然の旅人」は作者(村上春樹)の偶然、作者の知人の偶然の後に、知人が長年疎遠になっていた姉との和解が語られる。

 冒頭に作者そのものが登場するのには、彼の小説に慣れた読者から見れば違和感を持つだろうが、そんなことはすぐに忘れて、小説の風景の中にふっと入り込んでしまう。読み終えた時には、長年連絡を取っていなかった誰かに電話しようかと考えてしまうような、ほのかな暖かみを感じる作品だ。

 「ハナレイ・ベイ」は息子を19歳の時に、サーフィン中の事故で亡くした母親の「乾いた悲しみ」が主題だ。能天気な日本人サーファー2人組には見えるのに、自分には見ることのできない「息子の幽霊」を探すくだりが印象的だ。

 後の3編も含め、とにかく「うまいなあ」と思う。僕から見た短編集の評価としては、短編集としては前作に当たる『神の子どもたちはみな踊る』の方が若干、良いのだけれど。ちなみに、「日々移動する腎臓の形をした石」は『紙の子ども』の中にある「蜂蜜パイ」の後日談とも、前日談とも言える作品だ。

 読者に、とりあえず「まあ、読んでみるか」と思わせ、ひととき、比喩に充ちたスマートな会話を楽しませ、終わった時には何かを感じさせている。その芸は見事だと思う。だからといって、作品から明確な意味をつかみとれるわけではない。しばらく経つと、また読みたくなってしまう。その意味で、村上春樹の戦略に、僕らは見事にはまっているのだ。

 「偶然の旅人」を読んでいる間に、チャールズ・ディケンズの『荒涼館』を読みたくなった(他にもそういう人は多いはず)。幸い、僕の家には既に品切れになっているらしい、ちくま文庫判がほこりをかぶっていたので、4冊全部を取り出してきた。作中に出てくる小説を読みたくなってしまうのも、村上春樹の小説の効用の、あるいは困ったことの1つだ。
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2005年09月19日

半藤一利の『昭和史 1926-1945』で気になる点は

 半藤一利の『昭和史 1926-1945』(平凡社)を大いに誉めたけれども、1つだけ気になる点がある。それは著者の根底にある歴史観だ。

 はじめの章で、著者はこう書いている。

つまり国を開いてからちょうど四十年間かかって、日本は近代国家を完成させたということになるわけです。

 そこから大正、昭和になるのですが、自分たちは世界の堂々たる強国なのだ、強国の仲間に入れるのだ、と日本人は大変いい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一生懸命つくった国を滅ぼしてしまう結果になる、これが昭和二十年(一九四五)八月十五日の敗戦というわけす。

 一八六五年から国づくりをはじめて一九〇五年に完成した、その国を四十年後の一九四五年にまた滅ぼしてしまう。国をつくるのに四十年、国を滅ぼすのに四十年、語呂合わせのようですが、そういう結果をうんだのです。 

 うーん、そうなのだろうか。

 確かに近代日本を一生懸命つくった「明治の父祖」たちの努力を認めないわけではないが、日露戦争以後の日本が太平洋戦争に向かって滅びの道を歩み出したとすれば、それはそれ以前の「国をつくる四十年」にも、既に滅びにつながる萌芽があったのではないか。

 半藤のこの考え方、歴史観は、おそらく編集者・作家としてつながりが深かった司馬遼太郎の歴史観ともつながるだろう。

 「滅びの四十年間」を、明治や、そして今の日本と区別することは、今の時代がすぐ滅びに結びつくかもしれないという危機意識を麻痺させてしまうものだと思う。
 
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ディテイルが素晴らしい半藤一利の『昭和史 1926-1945』。

 保阪正康の『あの戦争は何だったのか』の後に読み始めたのが、昨年に購入して積ん読状態のままだった半藤一利の『昭和史 1926-1945』(平凡社)だ。

 『あの戦争』が新書で250ページなのに対し、『昭和史』はハードカバーで507ページ。そのボリュームの違いが、そのまま読後感の違いにつながる。

 保阪が歴史教科書のような記述でわずか数ページ、数行で通り過ぎてしまうような事件について、膨大な数の知識の引き出しを持つと思われる半藤は、さまざまなファクトを通して歴史、戦争のディテイルを語り続ける。当時の軍幹部や天皇とその側近たちとの言葉もあれば、永井荷風ら文学者の日記の引用もあり、さらに当時小学生だった著者の回想もある。

 結果として、読者は半藤の講談のよう話を聞いている(読んでいる)うちに、いつのまにか無味乾燥ではない、人間的な昭和史を追体験することになるのだ。

 著者はむすびの章で、「昭和史の二十年が私たちに示した教訓」として5つのことを挙げている。

1.国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。
2.最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない。
3.日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害。
4.日本人は、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった
5.何かことが起こったときに、対処療法的な、すぐに成果を求める短兵急の発想をとってしまう。

 読めば分かる通り、この教訓そのものは『あの戦争は何だったのか』の導き出す教訓と、そう差があるわけではない。だが500ページ弱を読むことによって昭和史をより身近に感じ始めた読者は、その教訓がより深く理解できるのだ。

 著者は現在75歳。太平洋戦争を自分の記憶として持つ人たちが次々と鬼籍に入ってしまっているだけに、今後、著者のように実体験も込めつつ昭和史を語れる人は出てこないに違いない。著者の他の著書も読みたいと思うと同時に、「昭和史関連の本で一冊だけ勧めるとすれば、この本だな」と考えた。
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保阪正康『あの戦争は何だったのか』

 今年は戦後60年ということで、いつになく昭和史(特に太平洋戦争)に関する本が数多く出版された。このごろ世の中が右傾化していることをひしひしと感じていた僕は、昭和史関連の本をいくつか読んでみようと思い、まず手に取ったのが保阪正康の『あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書』(新潮新書)だ。

 この本の帯には「太平洋戦争の総括なくして、どうして平和が語れるのだろう? また、日本は何を反省すればいいのか? この本にはその答えがある」とあるのだが、率直な感想は「そこまでの本ではないな」ということ。新書版で250ページというスペースでは、そもそも太平洋戦争についての詳細を語るのに無理があるのだ。

 第1章の「旧日本軍のメカニズム」、開戦の責任は陸軍ではなく海軍にあったことを明らかにする第2章の「開戦に至までのターニングポイント」は面白い。が、戦争の経過を追った第3・4章はおおざっぱすぎる気がする。

 著者は後書きでこう書いている。

あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。そのことを見つめてみたいと私は思っているのだ。その何かは戦争というプロジェクトだけでなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのではないか。

 戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対処療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入り込んでいく。現実を冷静に見ないで、願望や期待をすぐに事実に置きかえてしまう。太平洋戦争は今なお私たちにとって、“良き反面教師”なのである。(240〜250ページ)

 確かにその通りだけれど、これまでの太平洋戦争本にない新しい視点を期待していた僕は、物足りなさも感じてしまった。これが著者の結論であるのなら、これは昔から言われていたではないかと……。
 
 しかし太平洋戦争を全く知らない若い人たちにとっては、コンパクトに「あの戦争」を学べる本書のような本は、大いに意味があるのだろう。
posted by KH at 15:41| Comment(0) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月18日

再開します

 仕事の忙しさを理由にしてブログを書くのをさぼっていたら、すっかり怠け癖がついてしまいました。最後に書いた記事がチャンピオンズリーグ(CL)でのリバプール優勝についてのもので、それから4カ月近く……。そのCLでは、新しいシーズンの本戦が始まってしまいました。
 仕事も落ち着き、書きたいことも相当たまってきたので、ぼちぼちと再開します。時々のぞいてくださった方、どうもすみませんでした。
 場合によっては、古い日付で、記事を投稿するかも知れません。今後とも、よろしくお願いします。
posted by KH at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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