2005年05月02日

どうして国策捜査は行われたか(とてつもなく面白い『国家の罠』2)

 佐藤優の『国家の罠』についてはいくつもの論点で語ることができると思うが、最も重要なのは、鈴木宗男事件は「国策捜査」だったという点だ。東京地検の西村尚芳検事は逮捕から3日後の2002年5月16日に、佐藤に対して

「そこまでわかっているんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」

 と、初めて「国策捜査」という言葉を使っている(218P)。また西村は佐藤に対して、こうも言っている。

「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作りだして、それを断罪するのです」。(287P)

 それではどんな「時代のけじめ」、どんな「時代の転換」が必要だったのだろうか。佐藤は西村との取り調べを通して自分の考えをぶつけ、以下のような考えを持つようになる。

 問題はその先だ。なぜ、他の政治家ではなく鈴木宗男氏がターゲットにされたかだ。それがわかれば時代がどのように転換しつつあるかもわかる。(中略)

 その結果、現在の日本では、内政におけるケインズ型公平分配路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から拝外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた。

 小泉政権の成立後、日本の国家政策は内政、外交の両面で大きく変化した。森政権と小泉政権は、人脈的には清和会(旧福田派)という共通の母胎から生まれてはいるが、基本政策には大きな断絶がある。内政上の変化は、競争原理を強化し、日本経済を活性化し、国力を強化することである。外交上の変化は、日本人の国家意識、民族意識の強化である。

 この二つの変化は、小手先の手直しにとどまらず、日本国家体制の根幹に影響を与えるまさに構造的変革という性格を帯びている。(中略)

 鈴木宗男氏は、ひとことで言えば、「政治権力をカネに替える腐敗政治家」として断罪された。

 これは、ケインズ型の公平配分の論理からハイエク型の傾斜配分の論理への転換を実現する上で極めて好都合な「物語」なのである。鈴木氏の機能は、構造的に経済的に弱い地域の声を汲み上げ、それを政治に反映させ、公平配分を担保することだった。

 ポピュリズムを権力基盤とする小泉政権としても、「地方を大切にすると経済が弱体化する」とか「公平配分をやめて金持ちを優遇する傾斜配分に転換するのが国益だ」とは公言できない。しかし、鈴木宗男型の「腐敗・汚職政治と断絶する」というスローガンならば国民全体の拍手喝采を受け、腐敗・汚職を根絶した結果として、ハイエク型新自由主義、露骨な形での傾斜配分への路線転換ができる。結果からみると鈴木疑惑はそのような機能を果たしたといえよう。(292〜294P)
 小泉首相や官邸の人間が、佐藤優や鈴木宗男の逮捕時に、以下のような明確な「時代のけじめ」を意識していたかは、僕にはわからない。おそらく佐藤がここで解説したほどには、明確な意識はなかったに違いない。

 だが結果として、鈴木宗男事件の前後から、というより小泉政権の誕生後、日本が「内政におけるケインズ型公平分配路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から拝外主義的ナショナリズムへの転換」の舵を切ったことは確かだ。

 その後の小泉政権の三位一体改革による地方の切り捨て、イラクへの自衛隊派兵、最近のロシア、中国、韓国、北朝鮮との関係悪化などを考えると、佐藤の分析は的を射ていると思う。また、彼の分析は僕自身の実感とも重なっている。

 その当時はわからなくても、しばらくたって時代を振り返った時に、「あの時がターニングポイントだったのかもしれない」と思う瞬間がある。2001年4月の小泉政権誕生、そして2001〜2002年のムネオバッシング、鈴木宗男事件はそのターニングポイントを象徴する事件だったのかも知れない。
posted by KH at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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