2005年09月19日

ディテイルが素晴らしい半藤一利の『昭和史 1926-1945』。

 保阪正康の『あの戦争は何だったのか』の後に読み始めたのが、昨年に購入して積ん読状態のままだった半藤一利の『昭和史 1926-1945』(平凡社)だ。

 『あの戦争』が新書で250ページなのに対し、『昭和史』はハードカバーで507ページ。そのボリュームの違いが、そのまま読後感の違いにつながる。

 保阪が歴史教科書のような記述でわずか数ページ、数行で通り過ぎてしまうような事件について、膨大な数の知識の引き出しを持つと思われる半藤は、さまざまなファクトを通して歴史、戦争のディテイルを語り続ける。当時の軍幹部や天皇とその側近たちとの言葉もあれば、永井荷風ら文学者の日記の引用もあり、さらに当時小学生だった著者の回想もある。

 結果として、読者は半藤の講談のよう話を聞いている(読んでいる)うちに、いつのまにか無味乾燥ではない、人間的な昭和史を追体験することになるのだ。

 著者はむすびの章で、「昭和史の二十年が私たちに示した教訓」として5つのことを挙げている。

1.国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。
2.最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない。
3.日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害。
4.日本人は、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった
5.何かことが起こったときに、対処療法的な、すぐに成果を求める短兵急の発想をとってしまう。

 読めば分かる通り、この教訓そのものは『あの戦争は何だったのか』の導き出す教訓と、そう差があるわけではない。だが500ページ弱を読むことによって昭和史をより身近に感じ始めた読者は、その教訓がより深く理解できるのだ。

 著者は現在75歳。太平洋戦争を自分の記憶として持つ人たちが次々と鬼籍に入ってしまっているだけに、今後、著者のように実体験も込めつつ昭和史を語れる人は出てこないに違いない。著者の他の著書も読みたいと思うと同時に、「昭和史関連の本で一冊だけ勧めるとすれば、この本だな」と考えた。
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保阪正康『あの戦争は何だったのか』

 今年は戦後60年ということで、いつになく昭和史(特に太平洋戦争)に関する本が数多く出版された。このごろ世の中が右傾化していることをひしひしと感じていた僕は、昭和史関連の本をいくつか読んでみようと思い、まず手に取ったのが保阪正康の『あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書』(新潮新書)だ。

 この本の帯には「太平洋戦争の総括なくして、どうして平和が語れるのだろう? また、日本は何を反省すればいいのか? この本にはその答えがある」とあるのだが、率直な感想は「そこまでの本ではないな」ということ。新書版で250ページというスペースでは、そもそも太平洋戦争についての詳細を語るのに無理があるのだ。

 第1章の「旧日本軍のメカニズム」、開戦の責任は陸軍ではなく海軍にあったことを明らかにする第2章の「開戦に至までのターニングポイント」は面白い。が、戦争の経過を追った第3・4章はおおざっぱすぎる気がする。

 著者は後書きでこう書いている。

あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。そのことを見つめてみたいと私は思っているのだ。その何かは戦争というプロジェクトだけでなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのではないか。

 戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対処療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入り込んでいく。現実を冷静に見ないで、願望や期待をすぐに事実に置きかえてしまう。太平洋戦争は今なお私たちにとって、“良き反面教師”なのである。(240〜250ページ)

 確かにその通りだけれど、これまでの太平洋戦争本にない新しい視点を期待していた僕は、物足りなさも感じてしまった。これが著者の結論であるのなら、これは昔から言われていたではないかと……。
 
 しかし太平洋戦争を全く知らない若い人たちにとっては、コンパクトに「あの戦争」を学べる本書のような本は、大いに意味があるのだろう。
posted by KH at 15:41| Comment(0) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月18日

再開します

 仕事の忙しさを理由にしてブログを書くのをさぼっていたら、すっかり怠け癖がついてしまいました。最後に書いた記事がチャンピオンズリーグ(CL)でのリバプール優勝についてのもので、それから4カ月近く……。そのCLでは、新しいシーズンの本戦が始まってしまいました。
 仕事も落ち着き、書きたいことも相当たまってきたので、ぼちぼちと再開します。時々のぞいてくださった方、どうもすみませんでした。
 場合によっては、古い日付で、記事を投稿するかも知れません。今後とも、よろしくお願いします。
posted by KH at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月26日

12人目のサポーターが引き寄せたリバープールのチャンピオンズリーグ優勝

 リバプールとACミランによるUEFAチャンピオンズリーグ決勝。後半開始直後の53分、リバプールの左サイドハーフ、リーセがあげたクロスを、キャプテン、ジェラードがヘディングでミランゴールに押し込んだ。

 前半が終わった段階でのスコアは、ミランが3−0でリード。「百戦錬磨、試合巧者のミランに3点差も付けられてしまってはおしまいだ」。そんな沈鬱な雰囲気が支配していたリバプールサポーターに、希望の灯が点った瞬間だった。

 にわかに沸き立つリバプールサポーター。だが僕が得点シーンよりむしろ心動かされたのは、キャプテン、ジェラードが得点直後にとった行動だった。

 ジェラードはゴールからハーフラインに走って戻るまでの間、観客席に向かって両腕を何度も何度も力強く上に振り上げ、リバプールサポーターがもっと盛り上がることを要求したからだ。まるで「何を、静かにしてるんだ! 俺たちが逆転するには、あんた達の力が必要なんだ。もっともっと力強く応援してくれ」と、叫ぶかのように。

 今季のチャンピオンズリーグにおけるリバプールの躍進には、いくつもの要因があるだろう。スペインのバレンシア監督だったラファエル・ベニテスの監督就任。相手の長所を消す守備の巧みさ。シャビ・アロンソやルイス・ガルシア加入によるスペイン流パスサッカーの開花。だが忘れてはならないのは、ホーム、アンフィールドでのサポーターの応援だ。

 ギリシャのオリンピアコスに対して、劇的な逆転勝ちで決勝トーナメント進出を決めたグループリーグ最終節。それまでは鉄壁の守備を誇っていたイタリア、ユベントスからいとも簡単に2得点を奪って勝った準々決勝第1戦、ユベントス戦での2−1の勝利。そしてプレミアリーグ最強のチェルシーに対し、ルイス・ガルシアのゴールを守りきって決勝にコマを進めた準決勝第2戦。どれもが、ホーム、アンフィールドのサポーターの存在がなければ、結果は違ったものになっていたのではないか。

 このチェルシーとの準決勝第2戦を前に、ベニテスは「チェルシーには、世界で最も高額な選手たちと有能な指揮官がいる。しかし、われわれにも最高のサポーターたちがおり、チェルシーといえども冷静さを保てないだろう。勝負は五分五分だ」と語ったという。まさにその「最高のサポーター」たちが支えとなり、リバプールの躍進を支えてきたのだ。

 だが、この日決勝が行われたトルコ・イスタンブールにあるアタチュルク・オリンピック・スタジアムで、リバプールサポーターは沈黙を強いられた。なにしろ騒ごうと思っていた矢先に、試合開始からわずか1分で、ミランの36歳の主将、マルディーニに先制点を決められてしまったからだ。

 それからの45分、前半のリバプールはどう見てもおかしかった。右サイドバックのトラオーレはクリアやラインコントロールでミスを繰り返す。

 同点狙いで前掛かりになっているせいか、ふだんは隙間のないはずの中盤とディフェンスラインとの間に、大きなスペースがある。そのスペースをカカに自由に使われてしまい、フォワードのシェフチェンコとクレスポに、何本も決定的なパスが通る。

 PSVのパク・チソンにいいようにかき回された準決勝第2戦とは違い、ミランの各選手のコンディションは抜群で、「コンディションがよい時のミランは、こんなにも強いのか」と思わせるできだった。

 試合後にシェフチェンコが「僕のゴールはオフサイドじゃなかった」と語ったシーンも含め、オンサイドでもおかしくない判定がいくつかあり、ジャッジ次第では、もっと点差がついてもおかしくない展開。リバプールサポーターは沈黙するだけでなく、ハーフタイムには泣き出す人までいたほどだ。

 その展開をガラリと変えたのが、ジェラードの1−3となるゴールであり、その後のスタンドに向かってのパフォーマンスだった。それまでの時間、リバプールのサポーターがいないかのようだったのに、突如としてスタジアムがアンフィールドになったかのような変わりようだった。

 それからの何分間か、リバプールは怒濤の攻めを続けた。まずはシュミチェルが2分後の56分、約20メートルのロングシュートをゴール左下隅に決めた。そして60分、ペナルティーエリアにドリブルで突き進んだジェラードを、背後からガットゥーゾが倒した。

 シャビ・アロンソのペナルティーキックは、いったんはミランのGKジーダにセーブされたが、アロンソは跳ね返りを左足で決めた。わずか6分でリバプールは、絶望的と思われたゲームを振り出しに戻したのだ。

 試合後、ミランのカルロ・アンチェロッティ監督は「われわれは6分間の精神錯乱に陥ってしまった。その後は120分までプレーを続けて耐え抜いたことを考えると、あの6分間は説明がつかない。とても残念だし、悔しく思うが、これがサッカーだ」とコメントしたという。

 アンチェロッティが、そう言いたくなるのはものすごくよくわかる。ミランが突然崩れたわけではない。なのに6分間に3点を与えてしまった。もちろんその陰には、ベニテスのハーフタイムでの指示や戦術・選手変更もあっただろう。

 だがあの嵐のような6分間が起こったのは、やはりリバプールサポーターの力ではなかったか。そしてそのサポーターの力を引き寄せた、ジェラードの得点とその後のパフォーマンスが、強く印象に残る。

 120分を闘い終えた後のPK戦でも、リバプールサポーターはミランの選手にプレッシャーをかけ続けた。PK戦は運の側面が強いが、リバプールがその運をたぐり寄せることができたのは、サポーターの力が大きかった気がする。「サポーターは12人目の選手」。改めてそんな言葉を思い出した。

 試合後、表彰を終えてジェラードがビッグイヤーを掲げると、リバプールを象徴する真っ赤な紙吹雪が授賞式のステージを染め、歓喜の声がこだました。「美しい」と思った瞬間だった。

  
posted by KH at 23:30| Comment(0) | TrackBack(2) | サッカー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

「めざせ100万語!」の途中経過(DickensとFrog and Toad)

 5月9日から始めた英語のペーパーバックの多読。24日までで総語数は67,602語、読んだ冊数はちょうど50冊(2度読んだものもかなりあるので、正確な冊数は31冊)に達した。16日間で約67,000語のペースを維持すれば、約240日で100万語を達成する計算。まあ途中で熱が冷めて、ペースは落ちると思うが、まあまあのペースだろう。

 50冊というすごそうに聞こえるが、最初に読んだPenguin ReaderのEasy Starts(200 headwords)レベルだと、ページ数は16ページで、絵もたくさんあるので、10分やそこらで読めてしまう。

 だが、僕は好きな小説の原作ペーパーバックを買ってきては、何度も挫折している口なので、どんな簡単なものでもペーパーバックを読み終えたということが嬉しい。このスピード感、軽い達成感は、このメソッドの優れている点の1つだろう。

 あまり勉強という感覚がないので、どれだけ上達しているかが正確につかめないが、ちょっと変化を感じてきたのは、「英語を読んでいる」という感覚から「筋を追っている」という感覚に変わってきた点だ。

 今日、読んだのはSSS英語学習法研究会で言うレベル1、読みやすさレベル1.6のCharles DickensのA Tale of Two Cities (Guided Reader S.)(ディケンズの『二都物語』)。翻訳では文庫本2冊にもなる量を語彙数600で、総語数約6000語、ペーパーバックにして64ページにまとめている。

 ペーパーバックの多読を始めたばかりの僕にとっては、これまででは最も高いレベル、かつ長い小説だったが、一気に読み終えてしまった。最後の方は英語を読んでいるという感覚が消えていた(筋を追っていた)のは、嬉しい体験だった。

 まあディケンズの原作の面白さがあってこそ、という面もあるのだろう。ディケンズは今の時代の日本で読むと、面白さの半面、お涙ちょうだい的だったり、説教くさかったりする、粗も気になる作家だ。だが語彙数と長さに制限があるGraded Readersだとそういう末節の部分がカットされて、筋の面白さがより引き立つのかも知れない。

 そのほかでお薦めはFrog and Toadシリーズ 。これはGraded Readersではなく、子ども向けの絵本。全部で10冊のシリーズのうちまだ読んだのは3冊だけだが、どれもくすっと笑って、ほのぼのとした気持ちになる。Arnold Lobel(アーノルド・ローベル)というのは、いい作家だなあ。

 なかでも気に入ったのは、Small Pig (An I Can Read Book)(邦題は『どろんここぶた』)。

 わずか500語という少ない語彙で、こんなに暖かい話が創れるのか……と思う。読み終わると、mud(ぬかるみ)が、心地よさそうなもののように思えてくる。読み聞かせに向いている。子どもがもっと小さな時に、出会いたかった絵本だ。
posted by KH at 23:55| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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