2005年04月08日

贅沢な『日本縦断 徒歩の旅』

 四国へ来てからというもの「歩いて旅をしてみたい」という思いを強くしている。

 子どもの頃から旅が好きだった。ただ就職してからは時間が限られ、旅らしい旅をしていない。それがこちらへ来てから多少の自由が効くようになり、旅への欲求が再び出てきたからかもしれない。あるいは「お遍路=四国八十八カ所巡礼」という、徒歩の旅に適した「超ロングトレイル」が自分の住む場所のすぐ近くにあることも、影響しているのかもしれない。

 そんな思いを持ちつつ昨年買ったままになっていた石川文洋『日本縦断 徒歩の旅 ―65歳の挑戦―』(岩波新書)をようやく読んだ。報道カメラマンの石川が、北海道・宗谷岬から沖縄・那覇までを、日本海側経由で約5カ月で歩き通した記録だ。

 感想は一言、「羨ましいなあ」。

 同じ旅行記でも、例えば司馬遼太郎の『街道を歩く』シリーズは、その土地で見たモノ、会った人を描くというより、それをきっかけに歴史や故事にさかのぼることを主眼としている。

 それに対して石川文洋の『日本縦断』は、帯にあるように「ひたすら歩いた日本再発見の記録」だ。元々がカメラマンだから、文章がものすごく巧いわけではない。けれどもその淡々とした、飾らない文章に、かえって好感をもてる。何より通り過ぎていく土地で、おびただしい数の人たちとふれ合っている点が素晴らしい。

 石川は終章、「3300キロを歩き終えて」で、こう書いている。
 
先日、友人から「君すごいことをしたなあ」と言われた。でも、私自身すごいこととはまったく思っていない。なぜなら、のんびりと風景を見ながら楽しい旅をしていたからだ。つらいけど歩き通そうなどの悲壮感は少しもなく、旅館で毎晩旨い料理を食べて酒を飲み、自分だけこんな贅沢な旅をしていて良いのかなあ、と妻に申し訳ないと思っていたぐらいだ。

 この文章を読んで、「そうだろうなあ」と思える人は、間違いなくこの本を楽しめる。けれども逆に「3300キロを歩くなんて、楽しいわけないじゃない」と思ってしまう人は、最初からこの本を手に取らない方がいい。

 出発した7月には73キロだった体重は旅終了後の12月には62.2キロに。血液検査の結果は医師が「完璧です。非の打ちどころがありません。この年齢でこの数字は珍しい」と言うほどだったという。素晴らしい。

 ちなみに、このエントリーを書くためにウェブを調べていて、岩波書店のページの中に、石川がこの旅の中で撮った写真が掲載されているライブラリーがあるのを見つけた。

 石川文洋「日本縦断 徒歩の旅」フォト・ライブラリー

 このライブラリーを見ながら本書を読み進めると、楽しさが増す。
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2005年04月07日

怠け者だった王貞治――秀逸なNHKのプロ野球ドキュメンタリー

 3月末のことだが、プロ野球の開幕を前にNHKが総合テレビで放映した「プロ野球・新時代へ 熱球の伝説」(全5回)がめっぽう面白かった。

 例えば2回目の「一本足打法の衝撃 ホームラン王誕生」(3月22日放送)。世界の王貞治が一本足打法を完成させ、ホームラン王となるまでの道のりを描いたものだが、小学生の頃には王貞治フリークであった自分でさえ、知らない事実がたくさん詰まっていた。

 僕にとって最も意外だったのは、王貞治が「怠け者だった」という点だ。番組中では、当時の監督だった川上哲治も、王貞治を徹底的に指導して一本足打法を導いた荒川尭コーチも、そのことを繰り返し証言している。

 巨人がV9を達成した後、晩年のころしか知らない僕にとって王は「求道者」のイメージそのもの。子どもの頃に読んだ王の自伝(こんなものを読んでいたんだな)には、真剣を取り入れたトレーニング法や、合気道の応用などが披露されており、それが求道者のイメージをさらに強くしていた。

 ところが番組によると、1959(昭和34)年に入団してからの王は素質だけで勝負している選手で、「怠け者だった」のだという。1962(昭和37)年初頭からは荒川の指導で練習に取り組んでいたものの結果は出ず、6月末には「打席に立つのが恐い」とこぼすところまで極度な不振に落ち込んでいた。

 そして7月1日の川崎球場での大洋戦。ヘッドコーチの別所毅彦に「チームが打てないのはおまえの責任。王に、今日からホームランを打たせろ」と怒鳴られた荒川は「昨日の夜、練習したように、今日は一本足で打て」という指示を王に出した。ためをつくり、タイミングを取りやすくするために、たまたま前の晩に一本足打法に取り組んでいたのだ。

 その試合の第1打席はヒット。そして第2打席、王は荒川に言われた通り高々と足を上げバットを振ると、ボールは右翼席に。この試合で王は5打数3安打と大活躍した。

 荒川は言う。「たまたま足を上げたこの瞬間にホームランが出た、これが何とも言えない彼の幸運だった」。そのゲームの後、荒川は王にこう話したという。「おまえは、この一本足で運をつかんだ。つかんだ運を離さないために、今まで以上に練習しような」。

 王はこの日を境に「練習の鬼」に変わっていったのだった。

 僕はてっきり、「鬼気迫る猛練習」の末に一本足打法があったのかと思っていた。でも事実は逆。一本足打法はたまたまの偶然から生まれたもの(その偶然も、努力の末の偶然ではあるのだが)で、それを定着させる、自分のものとするために王は「鬼気迫る猛練習」に取り組んだのだ。

 この逸話は、様々なことを示唆しているようにも思える。

 良質なノンフィクションやドキュメンタリーは、視聴者や読み手がよく知っているはずの事柄について、読む、見る側の予想を上回る、覆すような素材を提供する。今回の「プロ野球・新時代へ 熱球の伝説」はこの王の回に限らず、まさしく僕らの予想を覆すようなファクツを伝えてくれる、第一級のドキュメンタリーだ。

 今回の番組のように、豊富な資金力を前提にした丹念なインタビュー。そして過去の膨大な映像蓄積。これこそがNHKの強みだと思う。

 夜7時のNHKニュースで、ホリエモンを妙にらしくない派手派手しいやり方で取り上げ、自社の問題も含めそのほかのニュースをかすめさすようなやり方が、本当のNHKだとは思いたくない。
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2005年03月22日

チャンピオンズリーグが示す3-5-2(3-4-1-2)システムの劣勢

 今日、RSSリーダー(headlinereader)を使って、ニュースサイトやらブログやらを巡回していたら、杉山茂樹がgooのNumberWebにチャンピオンズリーグを例にとって、4-2-3-1や4-3-3のサイド攻撃重視のシステムの興隆が、3-5-2(3-4-1-2)のシステムを激減させたことをやかりやすく書いていた。
[チャンピオンズリーグの真髄] [第12回]『3-4-1-2』の不在

(前略)
 4-2-3-1以上にサイド攻撃を重視する4-1-4-1的な4-3-3が、さらに増えていけば、3-4-1-2の居場所はもっと失われる。今季のチャンピオンズリーグは、その傾向を示唆している。

 我々の身近で、3-4-1-2といえば、日本代表になる。次戦の相手はイラン。布陣は4-2-3-1だ。チャンピオンズリーグの歴史は、イラン有利を予想する。戦力が互角ならば、噛み合わせの良さでイランが優勢。4-3-3の台頭を欧州で確認した後だけに、いっそう不安になる。両サイドを攻められ、5バック状態になり、攻撃はロングボールが主体。しかし、バックラインとトップが離れすぎているので、必然FW人へのサポートは薄い。シェフチェンコやエトーがいればそれでも何とかしてくれそうだが……。

 チャンピオンズリーグの8強の中に「3-4-1-2」は1つも存在しない。それはなぜか。日本でチャンピオンズリーグを最も見る必要がある人物は、ジーコ監督であると僕は確信する。

 昨日のエントリー(「場当たり的なジーコの4バック」)で僕が書いていたこととほぼ主張は同じだけれど、さすがに現場を数多く見ている杉山氏だけあって、より説得力がある。

 日本代表とは直接関係ないが、チャンピオンズリーグのバルセロナ対チェルシーで、チェルシーがもしロッベン不在でなければ、より攻撃的になり、それ故にバルサに打ち負かされたかもしれないという主張は、なるほどと思った。
 チャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦、バルサ対チェルシー戦に、もしロッベンが出場していれば、4-3-3対4-3-3は実現していた。チェルシーは手堅いカウンターアタック戦法をとらず、正攻法でバルサに立ち向かっていったと思われる。そしたら結果はどう転んでいただろうか。バルサが打ち勝ったようなに思えてならない。チェルシーはロッベンという看板不在が、むしろ功を奏した。弱者の論理に則れたことが幸いした。

 そうだよなあ。結果的にはバルセロナはチェルシーのカウンターにしてやられてしまったのだ。チェルシーは2戦目に4点を取ったが、4点目、テリーのヘディングを除いた3点がカウンターからのものだったからな……。

 それにしても、ウェブ上で雑誌「Number」の掲載コラムの一部や、この「チャンピオンズリーグの真髄」のような雑誌未掲載のコラムが読めるのは嬉しい。gooはRSSの配信もしているので、RSSリーダーを使ってブログやニュースサイトの巡回をしている人はぜひ、登録してみてください。
posted by KH at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月21日

場当たり的なジーコの4バック

 ドイツで合宿中のジーコ・ジャパンが、練習試合で4バックをテストしたという。

中田シフトだ、イラン戦は「4バック」

 【フランクフルト(ドイツ)20日=岡本学、西尾雅治、山下健二郎】日本代表ジーコ監督(52)が、MF中田英寿(28=フィオレンティーナ)の復帰を想定した4−4−2システムをテストした。ドイツ合宿3日目、地元アマチュアのFSVマインツ05(ドイツ3部相当)との練習試合で、前半に4バックをテスト。試合後に4バックでW杯アジア最終予選イラン戦(25日、テヘラン)へ臨む意向を明らかにした。選手の一部に多少の戸惑いもあるが、約1年ぶりの代表復帰となる中田英を中心にイランとの大一番へ臨む。

 約11カ月ぶりの代表復帰となる中田英の合流前に、ジーコ監督は腹を決めた。地元アマとの練習試合で、昨年の東欧遠征から21試合中19試合で採用してきた3−5−2ではなく、4−4−2のシステムで前半をスタート。代表発表の14日には3バックで臨んだ2月9日の「北朝鮮戦をベースに考える」とイラン戦の構想を語っていただけに「意外だった」(DF宮本)。ジーコ監督は「イラン戦? おそらく4バック」と試合後にコメント。それは紛れもなく、昨年3月31日のシンガポール戦以来約1年ぶりとなる中田英復帰を想定したシステムだった。

(日刊スポーツ 2005/03/21)

 僕は両サイドからの攻撃を重視する現代サッカーでは4バックの方が適しているとは思う。現に、ここ数年のうちに欧州の大半のチーム(クラブレベルでも代表でも)は4バックになった。

 ただ、だからといってジーコの4バック転換(?)を素直には評価しにくい。おそらく4-2-3-1で、ダエイの1トップを敷くイラン対策という意味合いもあるのかもしれないが、もっと大きな理由は中村俊輔と中田英寿を併用したいということにあるからだ。

 うーん、こういうことで3バックと4バックを簡単に変えるのはどうなのだろう。もちろん4バックなりの約束事が徹底されればいいのだが、これまでのジーコジャパンを見る限り、そうはなりにくい気がする。中田が戻ってきたから4バック? あまりにも場当たり的な戦術転換に思えるのだ。

 数年前までは世界の多くのチームが採用した3-5-2が激減したのは、98年ワールドカップのオランダ代表あたりに端を発する、両サイドにプレーヤーを2枚ずつ置く4-2-3-1のシステムに相性が悪かったためだ。

 4-2-3-1対3-5-2のゲームでは、常にサイドの枚数は2対1で4-2-3-1の方が数的有利だ。中央の守備が強くなって、サイドに活路を見いださなければならない現代のサッカーでは、サイドのプレーヤーが1枚しかいない3-5-2は一般的に分が悪い。

 だがジーコのシステム変更には、こうしたことを考慮した様子がまるでうかがえない。ヨーロッパのサッカーを(テレビでも)見ていれば僕らでもわかることだが、欧州のサッカーを生で観戦するジーコの姿はほとんど見たことがないし、世界のサッカー勉強しているようにも見えない。

 ジーコジャパンの3-5-2は、ダエイのような1トップとマハダビキアのような強力なサイドアタッカーがいるチームには、フォーメーション上、どうしても分が悪い。アウェーの戦いということもあり、日本の両サイドがイランのサイド攻撃を恐れて引いてしまい、5バック化することが容易に予想できる。

 かといって4バックにしても守備面の不安は解消されるとしても(誰がサイドバックを務めるかにもよるが)、中盤の構成がボランチ2枚に中田、中村だと中央に寄りすぎて、サイドアタックが生かせない。バランスを考えられる中村が臨機応変にサイドに張るような形になれば、ある程度不安は解消されるのだが。

 現段階では、5バックになってしまったとしても、慣れた3-5-2の方がまだまともな戦いができるだろうと、個人的には思う。

 どちらにしても、今のジーコジャパンには、欧州のトップチームのような確固たる戦術がない。それでもしのいで最後は結果を出すというのがこれまでのこのチームだったのだが、その「運」だけを頼りにしてしまっていいものか。不安は尽きない。
posted by KH at 23:13| Comment(3) | TrackBack(11) | サッカー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月20日

ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何か

 直木賞を受賞したから書いていると思われるかもしれないが、しばらく前から角田光代をきちっと読みたいなと思っていた。雑誌に載っていた彼女のエッセイが、とても印象的だったからだ(印象だけはあって、その割には掲載誌も内容も覚えていないので、自分でもあきれてしまうが)。

「ああ、この人は今の世の中をつかみ取る視点を持っているんだなあ」。そんなことを漠然と感じ、当時出たばかりの新潮文庫の『キッドナップツアー』を買った。この文庫は2003年の6月の出版なので、彼女の小説をきちんと読みたいと思ったのは2年近く前ということになる。

 結局、気になりつつも忙しさにかまけて読めずにいるうちに、彼女は直木賞を受賞。受賞後にようやく、受賞作の『対岸の彼女』(文藝春秋)を読んでみた。
 
 「女同士の友情」がテーマのこの小説には、2人の主人公がいる。30代、既婚、子持ちだが、娘と共に公園での人間関係をうまく築けないことを日々悩む小夜子と、独身、子なしで小さな旅行会社を経営する葵。

 2人は生活環境も性格も異なり、著者がタイトルにつけたように川の「対岸」にいるような関係だ。だが共通するのは彼女たちの周囲に閉塞感が漂うことだ。

 2人とも、とりたてて不幸なわけではない。だけれども小説前半で描かれる小夜子の今と、葵の高校時代を取り巻くのは、彼女たち自身の力ではどうしても逃れることのできない閉塞感だ。生活上のトラブル、こころない人々の悪意、家族の無理解――。

 こうした小さなことが積み重なり、彼女たちの閉塞感は増していく。その描き方がとてもリアルな故に、この小説は多くの人の共感を得るだろう。2年近く前にエッセイを読んだ時に感じた第一印象は、間違っていなかったと思った。

 だが決して「暗い」小説ではない。同年代でしかも同じ大学出身だということがわかった小夜子と葵は急速に仲が良くなるが、あることがきっかけに、お互いの環境の違いを意識して溝をつくってしまう。しかし最後にはその溝は超えられるかもしれないという予兆で、この小説は終わっているからだ。溝ができた後で、小夜子が葵のことを少しずつ理解していく過程は、読み応えがある。

 小説中盤(96〜97ページ)で、印象的な場面がある。保育園通いを始めて1カ月がたつ娘のあかりについて、「まだお友達ができない」と愚痴をこぼす小夜子と、それに答える葵の会話だ。

 
「だけど、友達、たくさんできたほうがやっぱりいいじゃない?」耳に届く自分の声は、みっともないくらい切実だった。けれど小夜子は知りたかった。あかりの未来か、自分の選択の成否か、葵の話の行き着く先か、何を知りたいのかは判然としなかったが、しかし知りたかった。

「私はさ、まわりに子どもがいないから、成長過程に及ぼす影響とかそういうのはわかんない、けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」

 小夜子は正面に座る葵をじっと見詰めた。目の前でぱちんと手をたたかれたみたいに思えた。そうだ、あかりに教えなければならないこと、それは今葵が言ったようなことなんじゃないか、泣きわめくあかりを保育士さんに預け、まだ友達ができないのかとじりじり焦り、迎えにいったあかりから友達の名がひとりも出ないことにまた落胆するのは、何か間違っているのではないか……葵を見つめたまま、小夜子は考えた。

 「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何か」。いい言葉だと思う。そう思わせてくれる何かを持てた時、はじめて性格や境遇や生活環境を超えた友情が成り立つのかもしれない。
posted by KH at 23:55| Comment(2) | TrackBack(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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